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【報告】2006/03/04〜05 
学校づくり・学校評価・教職員評価討論交流集会 基調報告(4.教育の「構造改革」路線との戦略的対抗軸としての「子ども参加・父母共同の学校づくり」)

4.教育の「構造改革」路線との戦略的対抗軸としての「子ども参加・父母共同の学校づくり」

(1)教育の「構造改革」路線の攻撃との基本的対決点は、時の政府いいなりの学校か、子どもの成長・発達を保障する学校か、だれが学校をつくるのかにある
 
 以上をふまえ、あらためて「子ども参加・父母共同の学校づくり」のもつ意義について述べます。
 すでに見てきたように、教育の「構造改革」路線は、教育行政を使って、学校を財界の要求に屈従した時の政府いいなりのものに変質させようとするものです。したがって、この路線との基本的対決点は、子ども、父母・国民の願いや要求にもとづく学校を、主権者国民、教育権者である父母と教育に直接責任を負っている教職員が共同でつくるというところにあります。この基本的対決点を握って離さず、とりくみをすすめることが重要です。
 
(2)あらためて「子ども参加・父母共同の学校づくり」の意義について
 第1は、すでに述べてきたように、子どもの成長・発達を保障するのは、父母・国民、教職員であるということです。これを学校教育に具体化する道が、「参加と共同の学校づくり」です。
第2は、攻撃をうちやぶるもっとも確かな保障ということです。
 
 「子ども参加・父母共同の学校づくり」の目的は、攻撃への対応ではなく、子どもの成長・発達の保障にあることは言うまでもありません。しかし、子どもの成長・発達のために、教職員どうしが、そして教職員と父母ががっちりと結びつけば、行政権力による分断支配の隙間がなくなります。このことにより、攻撃の影響を最小限におしとどめることができるという重要な意味をもっています。
 
 このことは、父母・国民との直接的関係をとりむすんでいるのは、学校・教職員であり、教育行政は、父母・国民との直接的関係をとりむすぶことは、絶対にできないという厳然たる事実に由来します。権力は、教育行政をとおした行政作用によってしか、教育にかかわることができません。したがってそれは、常に教育への「介入・介在」という姿であらわれ、その手法は、「分断・支配」という姿をとるのです。実はこれが彼らの最大の弱点であり、「参加と共同の学校づくり」は、この弱点を正面から突いたとりくみという意味を持ちます。
 
 「参加と共同の学校づくり」をとおして、父母・国民、教職員ががっちりと結びつくことによって、権力の行政作用による介入・介在の余地を最大限狭めてしまうことができるのです。私たちが教育課題である「参加と共同の学校づくり」を、あえて教育の「構造改革」路線に対する「戦略的対抗軸」あるいは、「戦略的意義をもつとりくみ」とよぶのは、こうした論拠にもとづくものです。
 
 第3は、憲法・教育基本法を学校教育に具体化するものであるということです。
 
 「子ども参加・父母共同の学校づくり」は、学習権主体である子ども、子どもの学習権を第一義的に保障する権利=教育権を持つ父母、父母の教育権の負託を受け、職務権限を発揮して教育活動に直接あたっている教職員がしっかり結びつくことです。これは、憲法第26条が規定する国民の教育権の発揮以外の何ものでもありません。そして、「子ども参加・父母共同の学校づくり」のいとなみは、子どもの「人格の完成」(教育基本法第1条)をめざす教育を、「国民全体に対し直接に責任を負って」(教育基本法第10条)すすめることであり、憲法・教育基本法を学校教育に具体化することにほかなりません。
 
(3)「子ども参加父母共同の学校づくり」はどのような教職員評価、学校評価を要請するか
 「評価にかかわって、もう少し立ち入って述べます。
 
 教職員の子どもに対する指導が評価をふくんで成立しているように、そもそも教育実践、教育活動は、そのうちに評価活動を内包しています。この時期、多くの学校で、分掌や係ごとに、また、職員会議などで年度末反省会などがおこなわれていると思います。学校がすすめてきた1年間の教育活動を、年度当初に立てた目標に照らして、どこまで実現できたかについて、子どもたちの実態や成長をあとづけつつ、さまざまな話し合いがおこなわれていることと思います。これは、学校がすすめている教育活動の評価の一つの姿そのものです。
 
 思い浮かべていただいたらすぐにお分かりのように、その目的は、子どもの成長・発達の保障にあります。学校がとりくんできた教育活動をとおして、子どもたちがどのように成長することができたのかを確かめ、うまくいかなかった場合は、原因がどこにあったのかをさぐり、一歩でもよりよいものへと前進させるとりくみがすすめられているに違いありません。そしてそれは、教職員どうしの対話と討論という双方向型でおこなわれているはずです。
 
 これこそが、教育にかかわる評価のあるべき姿です。つまり、目的は子どもの成長・発達の保障であり、方法は、双方向、対話的関係ということです。当然、数値目標化はなじまず、具体的な子どもの姿や行事や研修の具体的な場面、あり方が評価の対象となっておこなわれています。これが学校評価であり、それは、教育といういとなみの本質が要請するものです。
 
 しかし、多くの場合、それは教職員集団としておこなわれている評価活動という姿をとっていると考えられます。学校教育をもっと前進させるためには、教職員集団だけではなく、子どもの声や父母の声をもっととりいれて、もっと父母とも話し合って、学校教育の総括=評価がおこなわれる必要があります。「参加と共同の学校づくり」はこの評価活動も共同でおこなうことを要請するものです。
 
 学校の教育活動が子どもの成長・発達に役立っているかどうかについて、子どもの意見を聞いたり、子どもと話し合ったりすること、同様に、父母の意見を聞いたり、父母と話し合ったりすること、これが「参加と共同の学校づくり」のもとでの学校評価です。当然それは、子どもや父母=評価者、教職員集団=被評価者とする固定的なものではありません。常にそれは、双方向型であり対話型でおこなわれるものです。
 
 個々の教職員の評価についても同様です。「参加と共同の学校づくり」は、教職員が自分で自分の教育活動をふりかえるだけでなく、子どもや父母の意見を聞き、子どもや父母と教職員がよく話し合って確かめ合い、次の教育活動の前進へとつなげるものです。実際、その端緒的なものは、学年末の学級懇談会や学年懇談会などの姿でおこなわれているのではないでしょうか。
 
 これも学校評価同様に、子どもや父母=評価者、個々の教職員=被評価者として、一方的、固定的におこなわれるものでないことは、言うまでもありません。ましてや、点数をつけてランク付けするものでは決してありません。
 
 このように、学校や教職員のすすめている教育に対する評価活動は、教育活動のプロセスに内包されています。そして、「参加と共同の学校づくり」は、参加と共同の教職員評価、学校評価を重視することを要請します。それは、教育活動の前進のためには、その時々のしっかりとした総括を子ども、父母、教職員共同ですすめることが求められるからであり、これを強めることによって、教育活動が前進するからにほかなりません。
 
 以上述べた教育の条理にもとづく評価活動に照らして、教育行政による押しつけの「教職員評価・学校評価」を見れば、それが、いかに非教育的で、まやかしで、教職員と学校を「評価」という名の値踏みにさらすよこしまなものであるかが明らかになるでしょう。一つひとつの学校から、教育活動に位置づけた教育の条理にもとづく評価活動をすすめることによって、教育行政が押しつける「教職員評価・学校評価」のよこしまなねらいを、父母の中にも明らかにすることができ、攻撃をうちやぶることができます。「参加と共同の学校づくり」は、この面からも、戦略的意義をもつとりくみであると考えます。
 
(4)「参加と共同の学校づくり」を基本として、多くのところが「教員評価・学校評価」の「試行」「本格実施」などに直面しているもとでの、各段階でのとりくみについてのいくつかの留意点
 
�ヽ童�段階のとりくみ
 各県段階のとりくみでまず第1に重視することは、管理運営事項論を突破し、交渉事項とさせることです。そのため、「教員団体は、教育の進歩に大きく寄与しうるものであり、したがって教育政策の決定に関与すべき勢力として認められなければならない」と規定しているILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」および、全教の提訴にもとづいておこなわれたCEART報告等を有効に活用することが重要です。
 
 また、実態論として、教育政策は、どれをとっても教職員の勤務労働条件と切り離すことができないものであることは明らかであり、これを認めさせ、交渉事項とすることが重要です。
 
 第2に、交渉においては、まず、賃金、人事など処遇への連動は断じてやらせないことが重要です。この点では、各県での確定闘争におけるたたかいに確信をもつ必要があります。また、教育行政の側の矛盾をつくことも重要です。都道府県教育委員会は、「教職員評価」押しつけのねらいをごまかすために、「教職員評価」の目的を「教職員の資質向上」や「学校教育の活性化」としており、教職員の勤務評定を目的と明示していない場合がほとんどです。この表向きの目的に照らして、「教職員評価」の結果を賃金、処遇に連動させることは、彼らの論理の中でもできないことです。
 
 次に、「参加と共同の学校づくり」の足がかりとなる確認をとることです。たとえば、「教育は憲法・教育基本法にもとづいておこなわれなければならない(あるいはおこなわれるべき)」という確認や、「教育の目的は子どもの成長・発達を助けることである」「教育は、父母と教職員の協力が大切」「教職員集団が力をあわせることが大切」などという確認は、職場段階でのとりくみで大変重要な意味を持ちます。
 
 たとえば、「学校評価・教職員評価」押しつけをはねかえすために、学校教育目標を教職員の合意でつくるということが重要な課題となりますが、そのときに、前述した確認があれば、「憲法・教育基本法にもとづいて」という文言を学校教育目標に掲げることについて、校長もふくめ、だれも否定できなくなります。
 また、個々の教職員の教育活動の目標を「自己申告」する場合でも、「私は、憲法・教育基本法にもとづいて教育をすすめます」という目標を公然と掲げることができます。また、学年で話し合って同じ目標で「自己申告」する際も、教職員の協力や共同が大切という確認があれば、大きな後ろ盾となります。
 
 第3は、制度の害悪をできるだけ抜く確認をとるということです。
 
 この点では、長野の例が重要です。すでに述べたように、長野は、検討委員会に義務制と高校の教職員組合代表が入り、SABCDという「評価」をはずさせるとともに、「総合評価」はおこなわせず、教職員の教育活動に対する「アドバイス」とさせるという到達点を築きました。これは、実質的に「教員評価」をシステム化させないという意味を持ちます。これをはじめ、各県段階の実情に応じ、可能な限り害毒を抜く確認をとるよう奮闘することが重要です。
 
�∋堋�村段階でのとりくみ
 市町村段階においても、都道府県段階と同様に、ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」、CEART報告等を活用して、管理運営事項論を突破し、交渉事項とさせることがまず第1に重要課題です。
 
 第2に、市町村教育委員会と都道府県教育委員会との関係は、指導・助言関係であることを確認することです。これは、地教行法にも規定されていることであり、市町村教育委員会は、否定できません。このことの確認は、たとえ都道府県教育委員会が「教職員評価・学校評価」を押しつけてきたからといって、市町村教育委員会は、それをそのままおこなうということにはならない、ということを意味します。つまり、市町村教育委員会としての自主的判断が求められるということです。
 
 その際、県の「教職員評価」を拒否した愛知県犬山市教育委員会の例を有効に活用することも重要でしょう。
 
 第3に、そのうえにたって都道府県段階での確認を上回る確認をとることです。どのような確認をとるのかは、各県段階での確認の内容との関係で、各単組・支部が自主的に検討すべき課題です。
 
��職場段階でのとりくみ
 組合執行部は、上記の交渉に全力をあげてとりくみます。しかし、「教職員評価・学校評価」押しつけに対するとりくみは、交渉だけでは決着がつきません。一つひとつの学校からの職場を基礎としたとりくみがカナメです。執行部は、最初から職場段階までこのことを明確にしておく必要があります。なぜならば、それはすでに述べたように、基本的対決点はだれが学校をつくるのかにあり、うちやぶる道は、「参加と共同の学校づくり」を正面にすえてとりくむことにあるからです。職場もこれを正面からうけとめ、「参加と共同の学校づくり」に本格的にとりくむことが求められます。したがって、職場段階のとりくみの第1は、「参加と共同の学校づくり」を基本にたたかうことを教職員の共通理解とするよう、全力をあげることにあります。
 
 第2は、そのために教職員の共同を職場からつくりあげることを一貫して重視することです。
その際、重要なことは、組合員という枠組みをこえ、組合所属の有無や違いをこえた共同を追求することです。それは、この攻撃は、教職員全体にかけられてきている攻撃であり、はねかえすのも教職員全体の共同と団結の力にあるからです。そしてそれは、教育にかけられてきている攻撃であるがゆえに、学校で日々教育活動をおこなっている教職員に、教育活動における共同をすすめることを要請するからです。
 
 したがって、分会会議という枠にとどまらず、組合所属の有無や違いをこえた共同の学習会などを職場で積極的に開催することが重要です。また、情報を共有するために、全教職員を対象とした「職場新聞」などを積極的に発行し、問題点を明らかにするとともに、職場教職員の団結、共同を強化してとりくむことの重要性を共通の認識とすることが求められます。
 
 さらに、校長も共同の対象とし、対話、懇談などを旺盛におこない、教育行政が押しつける「学校評価」「教職員評価」が「学校づくり」にとって、決して役立つものではないことについての、共通理解を広げることが重要です。それは、学校づくりにとって、校長はリーダーシップを発揮するべき職務であり、その立場に校長を立たせることが必要であるからです。
 
 具体的なとりくみにおいては、学校教育目標を教職員全員でつくりあげることをはじめ、どのような場面でも教職員の共同の教育活動を追求すること、「教職員評価」制度が強行された場合でも、教育活動の目標を学年で相談して決め、同じ目標で「自己申告」することや、「集団面談」など教職員集団の共同の教育活動を対置し、分断攻撃をうちやぶることが重要です。制度が導入されたらそれで負け、ではありません。「自己申告」や「面談」も「学校づくり」に役立つようにつなげてとりくみをすすめましょう。そうしたとりくみの教訓は、全国さまざまな職場ですでに生まれており、そうした教訓を共有することが重要です。



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