【行動】2006/08/26
教育基本法改悪法案を廃案に 8・26学習決起集会を開催!【講演1】
【講演1】堀尾 輝久 東京大学名誉教授、民主教育研究所代表運営委員、教育基本法全国ネット代表
精神の自由は近代法の理念
政府の改正案は、国会審議を見ても改正の根拠がまるでわからない。
社会全体の変化と子どもの育ちは大きく関係するわけですけれど、子どもの状況に時々の政策の果たす役割は非常に大きい。
それなのに、今日その政策が子どもや青年の生きていくこと、そして学ぶことをより困難にしている。
そうした困難な状況を政府自らつくり出しながら、その原因は教育基本法や憲法、戦後教育にあるという。しかし、このような言い方で納得する人はいないと思うんです。
民主党案も法というものが踏み込むべきでない、その限界を超えた改正案になっている。
国民の内面あるいは、精神の自由に関する領域に関しては、それは自由だということを法律で書くべきであって、その中に入り込んで、いろいろととやかく口出しをしてはいけないというのが近代法の精神なわけです。
それが大事なのに、民主党案や政府案をつくった人たちは、そこのところの感覚がまるでないんじゃないか。
現行法の10条を変え、教師の実践をいわば法でしばる。教育の自由が奪われるということは、子どもの精神発達の自由が抑圧されるということです。
それが、今回の改正に反対する一番大きなポイントになるわけです。
精神の自由という問題を深く考えていく必要があります。教育はまさに精神の自由に関わっている。
言論活動を含めて、これは精神活動ですから、その自由という形でとらえる必要がある。
人権の中での精神の自由の意味も軸にしながら、教育というものがどうかかわるのかということを考えなくてはなりません。
私は言葉として「教育の権力などからの自由」(freedomof education)と「教育的な営みの自由」(libertyof educational practice)というこの2つを区別しながら、その重なり具合を含めて、精神の自由、そして教育の自由という観念そのものをより豊かに発展させ、共有していく必要があるのではないかと考えています。
私たちは、本当に学校に自由をとりもどし、子どもたちが未来を持つことができるように育てられるかどうかが課題であり、憲法・教育基本法を守り、生かすことはそういうことなんだと思います。
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