【行動】2006/11/02
教育基本法改悪阻止11・2中央大集会を開催!【連帯あいさつ� �
【連帯あいさつ】小森 陽一 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」呼びかけ人、9条の会事務局長
みんさんこんばんは。ただいまご紹介に預かりました小森です。
先ほどの坂内さんのあいさつにもありました通り、いま多くの国民の目の前に、教育をめぐる根本問題がどこにあるのか、これが日に日に明らかになっています。
いじめを苦にして自ら命を絶たざるを得なかった子どもたち。なぜ彼女や彼らがそうせざるを得なかったのか。
2003年3月20日、アメリカとイギリスがイラクに対して無法な攻撃を加えたその日。中教審は教育基本法を改悪する最終答申を出しました。その最終答申の中に、教育振興計画ということで年月を決めていじめを半減させるとあります。一番子どもたちが悩む、本当に心と体が痛んでいるいじめの問題を数値目標にして競わせ、学校もそれで評価する。こういう数値目標唯一主義の教育体制を出した。このことが一番の根幹にあるんです。
文科省のやってきたことが、子どもの命を奪っている。そのことの責任をとることが、いま大人が子どもに対する一番大事な責任の果たし方ではないでしょうか。
また、大学に合格する人数を公立学校に競わせて、校長の一存で本当は学ばなければならない科目を学ばないで済ませていた問題も、数値目標を唯一かかげて学校ごとに競争させた文科省に、大きな責任があるわけです。そのことが多くの国民の前で明らかになっている。
自ら誤った政策を出し、教育基本法に反する教育行政を行って、死者まで出し、子どもたちや保護者にも迷惑をかけている、今年の受験生に受験勉強できなくさせているのは文科省という官庁なんです。自ら問題をつくり出し、その問題で大騒ぎをし、残業に残業を重ねている。こんなふうに国民の税金を無駄に使っている省庁が他にあるでしょうか。この責任を私たちはいまはっきりさせるべき時なんです。
それなのに、すべてが教育基本法が悪いかのように安倍首相は言ってきました。しかし、その嘘が日々の国会の審議の中で明らかになってきています。
いま大事なことは、安倍政権というのは小泉政権よりも国民の世論を気にするテレビが生み出した政治家ですから、世論を私たちがどう変えるかで、国会の情勢を大きく外からゆり動かしていくことができると思います。
あれほど、日々の国民のテレビを通しての評判を気にしている総理大臣はいませんね。いままで言っていたことを180度変えて。安倍首相の思想的なブレーンが朝日新聞で言っていることが全然違うんじゃないか、と動揺し始めている。こういう状態です。それは、テレビを通して国民に伝わったことで局面が大きく変わる。そういう政治基盤が脆弱な総理大臣だからです。
安倍政権に大きな打撃を与えることができるのは、もう一度私たちが運動の出発点に戻って、「なぜ教育基本法がいま大事なのか」、そして「教育基本法がどういう法律なのか」「どれだけ変えてはいけない法律なのか」、そのことを周りの人たちにもう一歩広く、明らかにしていくことだと思います。
与党案が、ばっさりと削ろうとしている教育基本法の前文の第2文があります。われらが確定した憲法を、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつ」という言葉がかかれた文章です。私の専門は日本近代文学です。「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」という文章は、文学者から言ってもとても含蓄の深い文章です。
みなさんお気づきですか。「まつ」という言葉はひらがなで書かれていますよ。さあ、「まつ」という大和言葉にみなさんはどういう漢字を当てはめられるでしょうか。ただちに2つ浮かんだ方には、私は国語の教師として「優」を差し上げたいと思います。
ただ、おそらく多くの方はひとつですね。行人偏に「寺」。これはしっかり準備をして人や物事や出来事がやってくるのを受け入れる体制をとる、こういう意味の「待」です。もうひとつは、人偏にカタカナの「ム」を書いて下に弓矢の「矢」を書く。この「俟」です。これは期待する、頼みにする、頼りにする。
この「まつ」という一言の中に、教育勅語体制の国家が、そして天皇が上から国民の心を支配し、戦争に動員するそういうための教育は全部やめる。
そういう教育ではなくて、新しい憲法の第26条で規定されている、一人ひとりの新たな主権者になった国民の権利としての教育だという思想がこの「まつ」という一言にこもっているんです。
それを削除するということは、一人ひとりの国民が主権者として、憲法を現実化する、そういう言葉を通した活動を国家がすべて押さえ込もうとする。そのような極めて危険な言論統制法が教育基本法の改悪なんだということを示しているのではないでしょうか。
そして大事なのは第10条です。「国民全体に直接に責任を負って行われるべきもの」である。これが教育です。これは、教育者というものが一体どっちを向いて教育を行うべきか。この顔の向きをハッキリ示しています。
私は2003年に国立大学が法人化されたので、もはや国家公務員ではありませんが、私立大学から東京大学に移って辞令をもらう際、宣誓をしました。その宣誓は、「私は日本国憲法を遵守し、教育基本法を遵守して…」、その後にこの10条がつくんです。「国民全体に対し直接責任を負って」業務を遂行する。これが大事なんですよね。
その時、総長や学部長もあいさつしましたが、私は確信しました。�犹笋倭軣垢箜愽�長に責任をとって教育するんじゃない�瓩函D樟楾駝韻砲任垢�ら、まずは学生、その保護者、そしてその周りを取り囲む国民に私は責任を負って教育をするのだから、学部長が「小森さんそんな教育はすべきじゃない」とか、総長が「ちょっと過激なことを言いすぎじゃない」とかね、そういうことが「不当な支配」になるわけです。
「国民全体に直接に責任を負って行われるべきもの」――これをとっちゃったら、「不当な支配」は何でも入る。「組合運動がそうだ」「今日の集会がそうだ」ということになるんです。みなさん。日本語の専門家が言うんですから間違いありません。
そういう意味でもう一度私たちが、どれだけ大切な私たちの日本語が教育基本法の中に込められているのか。一言一言を私たちの周りの人たちに明らかにし、1日でも衆議院での採決を遅らせることができるなら、それが廃案につながるんです。
公聴会をやるといっています。宮城の方いらっしゃいますか?仙台では教育基本法改悪案の本質を絶対に暴露してください。三重の方いらっしゃいますか?津でもやるんですよね。お願いします。栃木の方いらっしゃいますか?宇都宮でも返り討ちにしてください。愛知の方いらっしゃいますか?ああ、手があがっていますね。名古屋でもやります。
私たち庶民の声を、国民の声をきちっと公聴会にも反映させ、そして教育基本法の改悪を断固として阻止するために全国のみなさんもともにがんばりましょう。ありがとうございました。
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