【行動】2006/12/07
教育基本法改悪法案の強行を許すな12・7中央総決起集会に4800人!【発言(1)】
【発言】堀尾 輝久 日本教育学会 元会長、民主教育研究所 代表
みなさんこんばんは。私は教育学者として、みなさんに連帯の気持ちを伝えたいと思います。
いま志位さんのお父さんの話がありましたけれど、小学校の先生だったお父さんに教育について、教育基本法について教えられたということを、教育研究者としてとても嬉しい思いで聞いておりました。
私自身、研究者ですけれども、現場の苦労、実践から学ぶというということが教育学の基本だと思っています。そういう意味でここに立っているのも、みなさん方への連帯と日ごろのその実践に教わっているものへの感謝ということです。同時に民主教育研究所ということで、全教の組合員に支えられた研究所の代表もしていますので、みなさんに応える研究をしなくてはという思いも持っています。
研究者ということでもう少し言います。日本教育学会歴代会長4人大田堯、そして私、寺崎昌男、佐藤学)が国会に向けて、私たちの教育基本法改悪案について「見解と要望」というものを出しました。それを支持する形で教育関連学会29学会の会長経験者44人が研究者の署名を集めるということをやってくれました。そして、1080人を超える署名が集まって、12月1日にこの参議院の委員会にもこの見解をつたえるということもやりました。
それから、現場からの声ということでは、現職の校長先生の66%が改悪に心をいためている。これは東大の研究室が1万人を対象にした現職校長へのアンケート。この数字などを見て、日ごろは「校長なんて何やってんだ」と思っている方が多いと思いますけれど、しかし校長先生も本当は悩んでいるんだということを改めて感じました。本当に子どものため、みんなのための学校をつくるためには、校長もいっしょにやらなければ、教育改革はすすまないという思いを改めて強めました。
公聴会の話が先ほども出ましたけれども、参考人及び公聴会には教育研究者がずいぶん参加しています。私の勘定だと16人の人が参加していて、そしてそれぞれが非常に良い論点で批判をしているんです。私は衆議院の最後の参考人で発言しました。その人たちが「自分たちが意見を言ってもちっとも国会の議論に反映しないじゃないか」「これはおかしい」と。それで連名で我々の意見をちゃんと国会で議論しろという要望書を出そうという動きをつくっているんですね。
公聴会ならばみんなの意見を聞いて、国会で議員の方々が当然フィードバックしながら議論を深めるというのが、当然なんですけれども、それが全然やられていない。これなんかも日本の民主主義を考えるうえでおかしなことだと思っています。
内容の問題にかかわって私は2つ述べたい。
1つは、いま教育基本法「改正」と言われているんだけれども、これはまさに全面「改正」なわけで、いまの教育基本法はどうなるか。実質的に廃案になるわけですよね。その廃案の手続きをするのかどうかということも、実は審議の過程で深めていただきたい。今あるものをやめるのならば、新しいものをつくる理由だけではなくって、実はやめる理由がもっとはっきり提起されなくてはならない。しかし、やめる理由なんてほとんど議論されていませんよね。そして、むしろいまの「教育基本法の理念は非常に普遍的で良いものだ。しかし、足りないものがある」という説明をしているわけです。じゃあもし改正された場合に、「普遍的な価値」を持っている今の教育基本法はどういう扱いになるのかという議論がさっぱりされていませんよね。これは私は是非、志位さんにもこの辺の問題点を立法事実的な問題も含めて深める必要があるんではないかという思いを持っています。
それからもう1つは、政府案の問題点として先ほど憲法との関係を強調されましたが私もまったく同感です。そして「改正」の理由の根拠がまったくないということも、まったく私もそう思うのですけれども、他方で実は「改正」したい人の本音というのは、よく見えているわけですよね。それは国会でそのことを口にしないだけで。何かというと、つまり、憲法と教育基本法は一体のものである。憲法を改正するという、そういう大きな戦略的な立場で、まず教育基本法を変えるという、これがつまり憲法改正論者の非常に明快な、明白な根拠でもあるわけです。
その点にかかわって、今度の「改正」条文で言うと、まず現行法の冒頭「われらは先に日本国憲法を確定し」という前文をばっさり切ったわけですね。にもかかわらず、前文の第3項には「憲法の精神に則り」と書いてある。これはどういうことなのか。もし本気でそう考えているのだったら、「改正」しようとしている条文は果たして憲法の精神に則った「改正」かどうか検討しようじゃないか。その場合に10条を変えるということはどういうことなんだ。これはさっき志位さんが非常に明快に言われました。まさに憲法の精神。人間の精神の自由を保障する人権の軸です。それと深くかかわる子ども・青年の発達の権利、そして教育を求める権利、このことが保障されている。そのためには教育が自由でなければならない。自立性が保障されていなければならない。この憲法原理が10条に生まれているわけですよね。それを「改正」案のように「この法律及びその他の法律に従って」なんて形で「改正」することは、まことに法律主義を振り回すおかしなことです。
しかも、その法律の中にはこの法というものがあるんだけれども、この法というのは「改正」案ですよね。その「改正」案がまったく与党だけで提案されて、しかも根拠がなく、しかももし強行採決されるということになるとすれば、この立法化自体が実は「不当な支配」ではないかと私は思います。
しかも、先生方を法律で縛る、自由がなくなる、その教師の仕事を「崇高な使命を自覚し」という言葉で9条では表現しているわけですよね。まことにナンセンスというか、腹立たしい。先生方は本当にそう思われると思います。自由を奪われ、「おまえたちは法律に従え、そして崇高な任務だ」と言われて納得できるわけがない。ここのところが憲法との関係で非常に大事です。もう1つは、現行第2条をやめてそして新しく「教育の目標」という条文をつくった。この「目標」という条文をつくること自体が、憲法の精神あるいは近代法の精神に違反しているんです。つまり近代国家というものは、そういう内面にかかわることを細かく言ってはいけない。これが近代国家の原理であり、憲法の精神なわけですから、2条のようなものを新しくつくるということ自体が、本当は憲法の精神に反する。しかもその2条の中心が、「愛国心」問題であるということになる。あるいは「公共の精神」のということになるわけですから、これは2重の意味で2条の設定というのは憲法違反になると思います。
この議論を通して憲法と教育基本法の意味というものを私たちは改めて学び直しているところがあると思うんです。本当にこういう機会がある意味では与えられたと思いますし、我々の教育に対する認識を深め、そして憲法の意味というものを現在の教育基本法の支えになっている精神というものを深く学ぶということが、これからの私たちのこの問題に対する、つまり廃案に追い込むということも含み、これから将来の展望の中でも非常に大事なことなんではないかと思っております。終わります。
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