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『未来をひらく教育のつどい2006』 第25〜27分科会

 


◆第25分科会  登校拒否・不登校の克服  ※文中の括弧半角数字は分会ごとのレポート番号 
 
 本分科会はこれまで、登校拒否・不登校問題をめぐる政策動向や教育情勢の分析・解明、子どもたちの置かれている状況や実態の解明、登校拒否・不登校を克服するための多様で豊かな実践の分析や教訓から、貴重な成果を生みだしています。
 ここ数年、文科省の発表では登校拒否・不登校者数は減少したといわれていますが、実感とは異なります。また、「ひきこもり」につながる問題など、より深刻化している面もみられます。私たちは「親の会」活動や居場所づくり、相談機関、スクールカウンセラーとの連携の発展に確信をもち、さらに広げていく必要があります。
 
 
全体会レポート
 
 (13)小学2年から始まった不登校に「7年間向き合っ」た親の報告で、わが子の不登校について振り返りながら、学校や教員に「言いたいこと」も率直に語る。さまざまな立場の人が一緒に考え合えるレポート。
 
 
A分散会
 
第1日目(午後)
 (6)担任する5年生の中に3人の不登校の子どもがいる。「試行錯誤を繰り返しながら子どもや保護者との信頼関係を築き、学級づくりをとおして3人の子どもたちに少しずつ変化が見られるようになった」という実践報告。
 (3)揺れる家庭環境の中で、学級委員、クラブ活動(バレー)をけなげにがんばり続けるが、次第に力が萎えていくA子。しかし、担任の協力の中で「登校拒否」を選択し、その後立ち直っていく記録。
 (16)子どもの3年間のあゆみとようす。教職員の具体的なとりくみをレポート。学校の体制や対応、スクールカウンセラーや保護者との連携、学級のとりくみなどについても報告される。
 
第2日目(午前)
 (8)中1から学校に行かなくなって5年になるという子の親のレポート。家を居場所に選び、「確実に前に進んでいると感じて」いるものの、悩みや苦しみも。「そんな私を支えてくれているのは…」を語っている。
 (5)高校の実践。スクールカウンセラーの問題点と可能性を指摘。高校中退・転学を防ぐために、「中―高間の連携」「高―高間の連携」「公的機関―民間機関との連携」などを提起。
 
第2日目(午後)
 (2)青年期に入り専門学校をやめ、ひきこもってしまったA子の小・中学校生活を描いている。A子は小・中学校時代にいじめを受ける。登校拒否はしなかったが心が大きく傷つけられてしまった…。
 (11)定時制課程による単位制高校につくった「不登校親の会」の活動を通して、子どもや親の願いを「学校の本流」にしていくとりくみを語る。相談活動を学校教育の柱にすることをめざす教員としての報告でもある。
 
 
B分散会
 
第1日目(午後)
 (7)小5から保健室登校のMさんが「立ち上がりを決意」するまでの過程と、その間の保護者や教員のとりくみについて報告。クラスメートのようすなどについても具体的にレポートされている。
 (4)中学校の相談室での実践。不登校経験者が相談室の中での仲間づくり、学力保障等のとりくみの中で自分自身をとりもどしていくとりくみ。相談室にいる方が無理矢理学級復帰させるよりも有効であると述べる。
 
第2日目(午前)
 (1)A君と担任・クラス全員のねばり強いかかわりを紹介。当初「つばさ学級」にしか行けなかったA君が木曜夜の学級に来るようになり、そして3年生からは学級に来られるようになるまでの記録。
 (9)小1から不登校が始まったA君が小6で転入してきた。現在中2だが、A君とのかかわりをたどりながら、「学びの場としての3つの条件」など子どもと自らの実践から学んだことを報告。
 
第2日目(午後)
 (10)「自分自身の問題として不登校にかかわり、5年目を迎えようとしてい」る報告者が「子どもの変化や学校の対応などについて」語り、参加者とともに考えようというレポート。
 (12)「長い不登校の日々の中で、子どもから…気づかせてもら」ったことや「親として感じたこと」を報告。「大事にされた人は、人のことも大事にできる」と語り、親・家族の思いを伝える。
 

◎親の心の変化が子ども の心を変えていく  はじめに共同研究者の広木氏から、基調報告がありました。今、「不登校ゼロ作戦」など数値目標を設定させる動きが各地であり、3日欠席があったら電話をするなどマニュアル化した「不登校半減計画」も広まっています。これらの問題点とこれからの課題について話されました。
1本目のレポートは、「揺れて揺れて自分の道は自分で決める」と題して、息子と向き合った七年間を自分の思いを振り返る涙ながらの報告でした。参加者は、教職員、研究者、相談員だけでなく、親の立場で参加した人も多く、報告に共感が広がりました。教師には、「学校・学級にもどすことを求めず、信頼できる人間関係づくりをサポートしてほしい」「話を最後まで聞いてほしい」ことなどを訴え。このことについては、共同研究者の高垣氏から、教師だけでなく親にも言えることではないかと指摘がありました。
 同じ悩みを持つ親同士、子どもの心に近づくために、地元に「不登校に学ぶ親の会」を立ち上げ、活動しているそうです。
全体での討議の後、2つの分散会に分かれて15本のレポートを検討します。(速報「たまっこ」より)
 
 

◆第26分科会  国民のための学校づくり
  ※文中の括弧半角数字は分会ごとのレポート番号 
 
大学問題から見えてくる「教育改革」の実像
 
 大学問題の分科会は、私大教連や都大教などの協力はありながら、教育運動のむずかしい問題から大学関係者の組織的な参加が実現せず、また、大学問題というと大学関係者だけの�猊澣錣旅發き疂�科会なのだろうという一般的な印象もあって、これまでのレポートは、ほとんどが高校関係者からで、あとは教育研究集会開催地の大学の組合にレポートを依頼するということを長く続けてきました。そういった事情もあり、毎年、共同研究者から、大学をめぐる1年間の状況分析やその時々の課題が総括的に報告されることを「学習」するという形態も生んできました。
 しかし、こうした限界がありながらも、共同研究者から情勢が毎年報告されることによって、この10年間に激動してきた大学情勢のきわめて重要な分析が蓄積されてきました。また、これまでに報告されてきたレポートの議論をとおして、この分科会は、�狢膤愼睫簑雖瓩魄靴κ�科会ではなく、そこで提起されている課題は、すべての学校種にわたる重要な検討事項を含み、教育関係者すべての関心事であることが確認されてきました。
 すなわち、国立大学の法人化にみられる大学の管理のされ方、評価システムは、高校をはじめとして学校にふりかかっている新自由主義的手法による教育支配の先行実例です。また、大学における教員養成に教育行政が直接に手を下しはじめるとともに、教員養成の高度化(教職大学院)構想を示す中教審の動きは、すべての学校において職員室が変質させられる政策を示唆するものであり、その動向如何は、同時に教育運動の未来に深刻な影響を及ぼすことが懸念されています。
 学生の学習意欲低下、学力不足、青年としての未成熟性に起因するさまざまな生活指導上の問題、大学卒業後の未就職問題、さらには、精神疾患対象者の増加などの問題は、高校生活指導が長い間抱えてきた問題に共通する内実をもっています。そうした学生たちに対する大学教員の涙ぐましい教育実践の工夫や生活指導的とりくみは、さまざまな学校種の教員が日常的に抱える課題に共通しており、それゆえに交流の中で検討され、励ましあわれるなかで共有されるべきものとなっています。
 その意味で、進学者が18歳人口の5割を超えて、かつての高校進学者をも上回る国民教育となった現在、大半の大学における教育は、「一般的教育課題」になっているといっても過言ではないでしょう。
 
 
高校・大学の接続問題
 
 さらに、大学の入試をめぐるさまざまな問題は、高等学校教育を歪めるばかりではなく、大学で進行している入試方式の多様化やその基準が、高等学校に、さらには中学校にまで同じように政策化されつつあります。分科会において長い間議論されてきた推薦入試をめぐる諸問題は、そのまま、高校受験の推薦制度に現われてきています。大学問題が、教育現場に直接的に影響を与えるであろうという観点で言えば、なによりも、大学改革政策の下で、学問の自由や自治というものが決定的に形骸化させられてきたことです。それは、教育や研究の領域における自由と自治のリーディング・フィギャー(先導的道標)がなくなっていくということです。
 
 
全国の大学関係者の交流を
 
 こうした分科会の蓄積がありながらも、そうした課題がなかなか共有されないという限界を一歩でも克服する工夫を、分科会で要望してきました。今年度の集会から、大学関係者をはじめ多くの方々が参加できる形態として、集会第2日の夜、すべての分科会が終了した後に別枠の分科会を設置するという試みを実施することとなりました。集会の共同研究者の方々の中には、大学関係者が多く、そうした方々の参加が可能なばかりでなく、すべての参加者に開放できる分科会とすることができます。
 これまでの分科会時間に比して、短時間の枠組みとなりますが、�々駑�大学法人化以降の大学管理運営の実態、��大学における教員養成の問題、�9眦�学校と大学の接続問題を分科会の課題とし、多くの大学関係者の方々に現状を報告いただき、全国的な状況を明らかにするという機会になることを期待しています。共同研究者から、公立大学の法人化をめぐる全国状況とそこに現われた大学管理の問題や教員養成の政策動向などの報告を予定しています。また、全大教からのレポートも提出される予定です。これは、全国教研始まって以来の画期的な前進となるでしょう。そのほか、参加者からの自由な状況報告を期待しています。
 教育基本法改正案が示す新自由主義的な教育管理の法制度システムは、すでに法人化された国立大学で先行的に展開されています。分科会は、そうした観点から、政策が展開しようとしている教育支配の構造を、少しでも明らかにできることを構想しています。
 

◎「競争市場に投げ出される教員養成を」聞いて  私は中学校の教員であるが、現在の初任者研修は初任者いじめの様子を呈しており、大変過酷な内容である。ここで挫折しなければ、後はたいてい大丈夫である。そしてこの研修を通じて結果的に、上に従順な素直な教師につくり変えられている。これに加え10年ごとのマインドコントロールは一層強くなり、さらに国や教育委員会に従順な教師につくり変えられて行くように思う。教育は創造的な営みであり、教育の自由、精神の自由がなくてはいけないのに、考え方も教え方も生き方も型にはまった国定教師が誕生する危険が高い。10年ごとにふるいにかけられ身分が不安定な職業に良質で優秀な人材が集まるだろうか。教師は子どもと同僚に鍛えられ教えられて本当の教師なっていくのである。私には文科省が思いつきでなくしっかりとした見通しを持って教師という人材づくりをやっていこうとしているとは思われない。(静岡・中学・教員)(速報「たまっこ」より)
 

◆第27分科会  生活科・総合学習
  ※文中の括弧半角数字は分会ごとのレポート番号 
 
(1)生活科・総合学習の現状
 保育園・幼稚園から大学まで、学校制度の枠組みを含めて教育のシステムが大きくゆらいでいる中で、教育内容もまた激しい競争的環境にシンクロするように変動を続けています。その中で、生活科・総合学習は、一方で子どもをまん中においたていねいな実践づくりの努力が傾けられる状況もありますが、他方、受験準備教育に道を譲って空洞化させている例もしばしば聞くようになっています。
 そこで初めに基調提案に続いて、参加者から生活科・総合学習の現状を率直に出し合って問題点を浮き彫りにしたいと思います。
 
(2)育てる・食べる生活科
 食は人間の最も基本的な活動であるにもかかわらず、現代社会は生産からも食からも、人間としての主体的なかかわりを遠ざけています。(10)は、生活科のカリキュラムがパターン化している中で、少しでも価値ある実践を創り出そうとしてとりくみました。そばの栽培からそば打ち、食べる会の実践プロセスの中には、この活動の意義について学び合う中身がつまっています。そばを育て・食べる活動が生み出した子どもたちの「学び」を明らかにします。(5)は、野菜を�犧遒辰匿�べて楽しむ�甞萋阿�、子どもたちの生活を主体的なものに変えてきました。生産活動は、人々の生きる力の源だ、ということを深めていきます。(13)は、米を育て・食べる活動で「いのちのつながり」を考えます。
 今、私たちのまわりはファーストフードでいっぱいです。その中で、人間性の回復とかかわって、スローフードが叫ばれています。ゆっくりの中に、より確かな次への飛躍が準備されるのではないでしょうか。
 
(3)自然認識を育てる生活科
 生活科が文部省(当時)で初めて構想された時、そこでは自然と社会について明確に位置づけ、最初の教科書ではそれなりに低学年理科的内容も盛り込まれていたのに、その後の教科書からはそれがどんどん消失していき、現在の理科教育に否定的な影響を与えています。(2)はこうした分析に立って、生活科で学ぶべき学習内容を具体的な教材とともに提案したものです。
 同様な観点から、(7)も子どもたちの関心をひく教材の扱い方を提案しています。たとえば「空気」からいかに多くの事実を学ぶことができるか。生活科にありがちなバラバラな教材の持ち込みでなく、系統立った学びの大切さを示しています。
 
(4)自然を豊かに学ぶ総合学習
 系統的と言えば普通は教育内容の論理的な、または自然の構造を反映した系統ということになりますが、(1)は言わば、「桑」という一本の植物から始まる学びの自己発展の系統とでも言うべき世界が広がっていることを報告するものです。そこでは、桑と蚕とから豊かな技術と文化とを織り出した人間のすばらしさを、養蚕農家の人と交わることで学んでいった総合学習が展開されます。総合学習の1つの典型として議論ができるといいと思います。
 
(5)地域とつながる総合学習
 地域は、豊かなモノ・コト・人が存在している学びのフィールドです。どこででも同じような内容としておこなわれる出来合いの「総合的な学習の時間」の実践ではなく、その地域にしかない具体的なモノ・コト・人を取り上げ、地域とつながっていく本物の総合学習の実践を創っていくことが大切です。
 (8)は、小学校を卒業する前に、6年生にこの人とこそ出会ってほしいと思う人を地域の中で探し出し、こうした地域の人のすてきな生き方に導かれながら、子どもたちが自らの〈夢〉探しを追求した実践。(12)は、「地域と結ぶ」とテーマ設定された「総合的な学習の時間」において、地域のお年寄りから昔の食べ物としての漬物や味噌を学び、地域へ迫っていった実践。
 これらの実践の検討をとおして、地域の持つ豊かな可能性を探ります。
 
(6)平和の主体を育てる総合学習
 (11)は、被爆60年をテーマに実践を創りました。2005年は戦後60年の節目の年として、「あの日の記憶」を風化させないとりくみが日本の各地ですすめられました。しかし、その規模は、必要性に比べ、決して大きいものとはいえません。「あの日の記憶」を直接もたれる方が年々少なくなる中で、�犖譴蠏僂悪甞萋阿僚斗彑�がますます大きくなってきています。この時代における、実践の意味を学び合います。
 
(7)高校の総合学習を創る
 高校における総合的な学習の時間の実践をめぐっては、教科を中心に編成された組織構造や「学力向上」策の権力的な強制などの問題とあいまって、多くの困難を抱えているのは事実です。しかし、他方で、高校生たちは、青年期を生きているがゆえに、〈現代〉という時代をどうとらえるのか、その中で自分はどのように生きるべきなのかを、本気で考えたがっています。こうした高校生の学習要求にふさわしい、世界探しと仲間探しと自分探しを串ざしにした本物の学びとして、総合学習の実践を創り出していくことが求められています。
 (3)は、学校づくりへの生徒参加を基礎にしつつ、ものづくりと自分づくりを架橋していった実践。(4)は、保育園実習を通して、(9)は、歴史・伝統班のとりくみとしての播州弁の学習と太鼓演奏によって自分が生きる世界としての地域とつながっていった実践。(6)は、生徒が社会に出ていく=自立のために、新自由主義政策の下で、破壊されてきた「働くルール」を中心とした学びの実践。討論を通して、今後の高校での総合学習のあり方を探ります。
 

 共同研究者から「発達や学力形成についての保護者の要求は多面的になっている。時には教師の実践観と対立することも。父母・子どもの要求がどこにあり、どこで合意していくのかを考え合いたい」という提起がありました。
 兵庫のレポーターは、1・2年生を担任。全国的に低学年の子どもの変化が指摘されていますが、先生のクラスも「四層」にも分かれる様相。一斉指導をしながら数人の子どもには別の課題を指導することで学習を成立させていきます。
 討論の中では、音読を脳の発達、授業規律と自主的な学びとの関わり、聞くことの指導についての意見が出されました。
 
◎勉強っておもしろいと思える授業  基調報告では、「日本型学力」の問題点の特徴が話されました。「知識面での低下はさほど問題ではないが、勉強が嫌い、自己肯定感の低さ、学んだことが実生活や生きることにつながっていない…」など、本当に大きな問題だと思いました。聞きながら、学級の子どもの顔が浮かんできました。分かること、できること、新しい知識を得ることは大きな喜びになると思うのですが、なぜそうなっていないのでしょうか。
 子どもの発想を大切にして授業を計画したい。でも、学んでもらいたいこともある。教師の裁量に任される部分が多い教科だけに、考えていること、やっていることがこれでいいのかと不安を感じて実践しています。
 子どもたちが「勉強っておもしろい。勉強したことがここにつながっているんだ」と感じられるような、総合的な学習ができるように分科会で勉強していきたいと思っています。(埼玉)(速報「たまっこ」より)
 

 
※本稿は、「教育のつどい2006」要綱からレポートの特徴と討論の組み立てについて紹介しています。また、合わせて速報「たまっこ」で取り上げられた当日の分科会の様子を紹介しています。速報の内容は、全日程を通じて取材したものではありませんのであらかじめご了承ください。



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