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「学校づくりと教育課程」全国交流集会基調報告

2004.11.20
全教 教文局長 山口隆

 目  次

はじめに ―この集会の意義と目的―

1.憲法・教育基本法改悪を許さず、これを生かすためにも「学校づくり」がもっとも実践的な重要課題であることを確かめ合いましょう。

2.学校づくり集会から1年を経て、とりくみの前進を確かめ合い、教訓を共有し、さらに広げましょう。

3.シンポジウムの討論、分科会での研究、討論をとおして、教育課程と学校づくりにかかわる諸課題を深め、問題の克服方向を共有するとともに、各学校でのとりくみに反映させよう

4.課題を確認し、「学校づくり・教育課程づくり」のとりくみを前進、飛躍させよう

おわりに


 

はじめに ―この集会の意義と目的―

  1.  憲法とこれと一体の教育基本法を変えてしまおうとする動きが強まっています。子どものすこやかな成長を保障する学校をつくり、教育を前進させるために、憲法・教育基本法を変えさせてはならないという気持ちを一つに結び合わせるとともに、教育基本法改悪を許さないためにも、「子ども参加・父母共同の学校づくり」がもっとも実践的な重要課題であることを、討論、交流をとおして確かめ合いましょう
  2.  全教が「子ども参加・父母共同の学校づくり」を打ち出し、それにもとづいて「学校づくり5つの提案」をおこない、「子ども参加・父母共同の学校づくり」全国討論交流集会を開催して1年がたちました。1年を経て、学校づくりのとりくみがどのように前進してきたか、ともに確かめ合いましょう。とりわけ、今回の集会は、「学校づくりと教育課程」というテーマを設定し、課題ごとの分科会を設定し、討論をおこないます。これもとりくみの発展の反映であり、このこともふまえて積極的な討論、交流をすすめましょう。また、討論の中では「5つの提案」自体も検討課題とし、「学校づくり」提案を発展させる契機としましょう。
  3.  「学校評価」「教職員評価」の教育行政からの押しつけが強まっています。この問題点を明らかにするとともに、この問題を学校づくりに位置づけてうちやぶるとりくみを交流しましょう。
  4.  学習指導要領一部改訂実施による小学校段階からの「習熟度別学習」の小学校段階からの押しつけ、学習指導要領問題に連動して引き起こされている「評価規準・基準」おしつけ、「発展」の入れ込まれた教科書、「2学期制」などの教育課程をめぐる問題、高校統廃合と一体にすすめられている高校教育「多様化」、「特別支援教育」などについて、交流し、教育課程づくりを「学校づくり」のとりくみと結んで前進させる大きな一歩を築きましょう。
  5.  教育を前進させるうえで欠かせない教育条件整備を父母、教職員共同ですすめるとりくみを交流し、教訓を共有しましょう。
  6.  この集会を全国教研改革の一環としても位置づけ、この集会での研究成果を共有し、各地での教育研究活動と、教研全国集会に反映させましょう。
  7.  これらの課題を、父母、教職員、研究者共同で話し合い、この交流集会を跳躍台として、各地での学校づくりのとりくみをいっそう発展させましょう。

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1.憲法・教育基本法改悪を許さず、これを生かすためにも「学校づくり」がもっとも実践的な重要課題であることを確かめ合いましょう。

(1)憲法、教育基本法を変えようとする動きが強まっています。背景にアメリカの強い圧力があります
 自民党は2005年秋までに改憲草案をまとめるとしています。また、民主党も2006年には独自の改憲案を出すといっています。公明党は「加憲」といってこの動きに加わっています。いま、憲法を変える一番のねらいは、憲法第9条を変えて、アメリカといっしょに海外で武力行使ができるようにしようということにあります。つまり、「戦争する国づくり」がもっとも大きなねらいです。憲法第9条を変えることについて、アメリカのパウエル国務長官やアーミテージ国務副長官は「憲法9条は日米同盟の妨げの一つ」「日本は憲法9条を見直すべき」と日本の国のことにくちばしをさしはさみ、強い圧力をかけています。
 この憲法を変える動きと一体に、教育基本法を変えようとする動きも強まっています。今年の6月16日に、自民、公明の与党でつくる「教育基本法改正協議会」は「中間報告」を発表しました。また、これに先立つ6月11日には、自民、民主の超党派の議員連盟である「教育基本法改正促進委員会」は「民間教育臨調」とともに、「新教育基本法大綱」を発表しました。小泉改造内閣で新しく文部科学大臣になった中山成彬氏も「速やかな改正に向けて精力的にとりくむ」と発言し、これらの動きの中で文部科学省は、具体的な法案策定の準備作業に入っています。

(2)この動きで追い詰められているのは果たして国民の側なのでしょうか、それとも憲法、教育基本法改悪勢力の側なのでしょうか―改憲路線に未来はありません。
1) 押しとどめようのない、平和を守る世界の流れ
  イラク戦争の過程をとおして、世界の平和を守る流れが確かなものであることがはっきりしてきました。イラク戦争に賛成の国は、49カ国で、その国に住む人口は約12億人です。イラク戦争に反対または不賛成の国は142カ国、人口は約50億人です。また、アジアの動きを見てみましょう。ここでも平和を守る世論がはっきりしています。政権党であるか野党であるかを問わず35カ国、83政党が集まったアジア政党国際会議では、国連中心の平和の国際秩序を基調とした「北京宣言」が全会一致で採択されました。これらの事実は、国連憲章もとづく平和の国際秩序を、が世界の流れであることを明確に示すものです。アメリカはイラクで、多くの人々を犠牲にする武力攻撃による無法な占領支配を続けていますが、世界の流れは、いかなる大国といえども、一国の力で世界を支配することができないということを示しています。
2) 平和・人権・民主主義を求める国民の力
  憲法をめぐっては、どの世論調査を見ても、憲法9条改悪反対は6割をこえています。また、自衛隊のイラクからの撤退を求める世論も6割を超えています。ここに平和を求める国民の願いが明瞭に示されています。また、東京都における常軌を逸した「日の丸・君が代」強制についても、東京新聞の世論調査は、「日の丸・君が代」強制はダメは、7割をこえています。
  市町村合併にかかわる住民投票、学校統廃合をめぐって、地域の高校を守れという住民自身の目を見張る立ち上がり、この集会でも報告されますが、30人学級実現など教育条件整備をめぐるとりくみでの、父母、地域の人々のたちあがりなど、各地で展開されている住民自身の行動と運動は、国民の中に定着してきている民主主義の力と国民が文字通り主権者として行動に参加してきていることを示しています。
  また、各地で続々とつくられてきている「九条の会」は、これまでに社会的発言を控えてこられた人々をふくめ、これまでにない幅広い層の人々を結集してきています。
  これらは、平和、人権、民主主義の憲法の理想の実現を求める国民の姿であり、これは、国民の中にはぐくまれている憲法の力と、憲法の理想の実現を教育の力に求めている教育基本法の力が確かに存在し、生きて働いていることを示しています。
3) 憲法・教育基本法改悪勢力に未来はありません
 世界の動きを見ても、国内における国民の願いと行動を見ても、平和を求める流れが本流であり、多数を占めています。憲法・教育基本法改悪勢力は、国会の力関係だけを見れば確かに多数を占めており、その力は一見大きいように見えますが、世界と日本をつらぬく太い流れを正確に見るならば、憲法・教育基本法改悪勢力に未来はないことがはっきりするのではないでしょうか。
 憲法・教育基本法改悪は、これを変えてしまおうとする勢力の強さを示すものではなく、むしろそこまでゆきつかざるをえない、深刻なゆきづまりを示すものです。そしてゆきづまっているからこそ攻撃が激しくなっているのです。この攻撃の激しさの本質を見抜き、とりくみをすすめましょう。
 大義と道理、そして憲法・教育基本法改悪をおしとどめる力も国民の側にあります。この確信を共有し、広げようではありませんか。
 この点で、戦前の教育が侵略戦争遂行の国の政策に従属させられ、先輩たちが教え子に対して「お国のために死ね」と教えた痛苦の経験を誰よりもよく知っている教職員の果たす役割は、とりわけ重要です。そのことを今こそ憲法・教育基本法改悪を許さぬとりくみに生かすときです。全力をあげようではありませんか。

(3)運動課題と教育課題を結んでとりくみをすすめよう
 いま、申し上げたように、歴史的最重要課題である憲法・教育基本法改悪を許さぬとりくみに全力をあげることは当然重要なことです。しかし、それだけでは教育はよくなりません。教育をよくするには、教育の営みをとおした独自のとりくみが必要です。一方、教育活動をがんばっておこなっているだけでは、憲法・教育基本法改悪をとめることはできません。両者をむすんでこそ、運動と教育両方を発展させることができます。当然といえば当然のことながら、あらためて、この観点を鮮明にしてとりくみをすすめましょう。

1) 教職員であることの有利さを生かそう
 とりわけ、公立学校の教職員に申し上げたいことは、公立学校の教職員は、公務員として憲法を守ることを宣誓して教職員になった、ということです。つまり、憲法を守ることは職務遂行の前提であり、憲法を守ると発言することや行動することは、職務として堂々とできる課題であるということです。ましてや、教育に直接たずさわるものとして、憲法と一体である教育基本法を守り生かすと発言し、行動することは当然のことです。この立場をあらためてしっかりとすえ、積極的に生かしましょう。また、私立学校は公教育の重要な位置を占めており、私立学校の教職員は、その身分は公務員ではありませんが、公教育の担い手です。
 憲法・教育基本法は、職員会議で話し合うことができる課題です。憲法・教育基本法は、学級・学年懇談会などで話題にし、話し合うことができる課題です。その中で、「子ども参加・父母共同の学校づくり」が教育基本法を学校教育に生かし、具体化することであることをあらためて父母とともに話し合いましょう。そして、いまこうして父母と教職員が話し合っていることそのものが、私たちが憲法によって守られていることであり、教育が教育基本法によって守られていることなのだ、ということを確かめ合いましょう。
 世論調査では、教育基本法を変えればよいのでは、と考えている国民が6割いるとされています。しかしそれは、教育基本法の中身を知ったうえでのことではなく、いまの教育が大変だから、教育基本法を変えたら少しでもよくなるのではないか、という思いにたってのことです。学校づくりを子ども参加、父母共同でおこなうことが教育の大変さをのりこえ、教育をよくすることであることがわかれば、教育基本法を変えたほうがよいのでは、という世論を、教育基本法を変えるのではなく、守り生かそうという世論に転換させることができ、教育基本法改悪を許さぬ大きな力となることは間違いありません。
 そしてそれは、憲法問題をあたかも政治運動であるかのように描きだそうとしている憲法・教育基本法改悪勢力の攻撃をうちやぶることになります。
 この観点からとりくみをすすめようではありませんか。

2) 憲法・教育基本法を実際の教育活動に生かす重要なとりくみとしての教育課程づくり
 子どもたちに基礎学力を身につけさせ、一人ひとりの子どもたちを人間として大切に育てる学校づくりは、父母の根本的な教育要求にこたえるとりくみであり、憲法・教育基本法が学校教育に要請する基本任務です。その学校づくりの中心に教育課程づくりをしっかりすえることが重要です。各分科会の討論をつらぬくテーマとして、教育課程づくりを軸とした学校づくりをしっかりと位置づけ、討論、交流しましょう。

3) とりわけ教育の課題として重視したい憲法教育
 教育基本法は、平和・人権・民主主義の憲法の理想を実現する主権者国民を育てることを教育に求めています。この間、政府・文部科学省は、学習指導要領を変え、高校では憲法学習を必修から選択へ、小・中学校では、その内容の変質をすすめてきています。しかし、憲法を教えることを学習指導要領から抜き去ることはできないでいます。憲法教育については、これまでも、実践が積み重ねられてきており、憲法は、子どもたちにしっかりと意識されています。それは、最近、日高教がおこなった「高校生憲法意識調査」からも明らかです。
 いま、あらためて憲法教育を重視し、教育活動の中に位置づけ、憲法そのものを、子どもの発達段階に応じて、しっかりと教えることを呼びかけたいと思います。本集会でも憲法教育の分科会をおき、実践交流と討論を深めたいと考えています。これも大いに生かして、全国で実践を展開しましょう。

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2.学校づくり集会から1年を経て、とりくみの前進を確かめ合い、教訓を共有し、さらに広げましょう。

1) とりくみの到達点
 さて、全教が「学校づくり5つの提案」をおこない、「子ども参加、父母共同の学校づくり」討論交流集会を開催して1年がたちました。この間のとりくみの到達点をともに、確かめ合いたいと思います。
 第1に、全国各地で、「学校づくり5つの提案」が積極的にうけとめられ、各県組織の中心課題にすわってきており、「学校づくり」を一つひとつの学校からすすめようという、積極的探求がおこなわれてきていることです。たとえば、京都では「学校づくり」をテーマに、府内全分会代表者会議を開催し、40本をこえるレポートを結集して討論、交流がおこなわれました。滋賀でも同様に、全分会代表者会議が開催され、組織拡大もふくめて討論、交流、意思統一がおこなわれました。和歌山では、県内2ヶ所にわかれて、これも全分会代表者会議がもたれています。大阪ではこの18日に、大規模な学校づくりの集会が開催されました。道教組は道内の実践を集約した自前の学校づくり討議資料を作成するというとりくみがすすめられています。
 これらの積極的努力が、「学校づくり」を大きく前へおしすすめています。
 第2は、これらのとりくみが反映し、「子ども参加・父母共同の学校づくり」のとりくみそのものが各地で前進し、多様に展開されてきているということです。たとえば、子ども、父母、教職員が参加する「三者協議会」は高校を中心に、大きく広がってきています。また、その議論も、学校の校則などをめぐる議論から、学校教育の中心課題である授業をテーマにし、学校づくりを正面にすえることなどへと質的な発展をみせています。また、子ども、父母、教職員に加え、地域の人々が参加する「地域フォーラム」など、学校づくりを地域づくりとむすんで発展させるとりくみもすすめられてきています。
 これらのとりくみの発展は、長野で開催した2003年度教育研究全国集会にも見事に反映し、子ども参加を前面に、父母、地域のみなさんとともに教育と教育研究をすすめる画期となり、全国教研改革をおしすすめる大きな力となっています。また、「学校づくり5つの提案」をおこなってから、わずか1年であるにもかかわらず、本集会を父母、教職員、研究者の共同で開催できたという事実そのものが、とりくみの到達点を示しているのではないでしょうか。

2) とりくみの中で確かめられてきたこと
 こうした「学校づくり」のとりくみの発展の中で、重要ないくつかの点が確かめられてきました。
 第1は、「子ども参加・父母共同の学校づくり」の中でこそ、子どもたちの学習主体としての自覚、未来の主権者としての自覚と意識がはぐくまれるということです。日高教がおこなった高校生憲法意識調査をみても、それは明らかです。この調査では、9条改憲について、「わからない」という答えが4割を占めているのですが、「子ども参加・父母共同の学校づくり」にとりくんでいる学校の場合、そこで学ぶ子どもたちは、「わからない」が極端に少なく、この問題について「判断」を示しているのです。しかもその判断は、憲法9条を守るべきという積極的なものであり、憲法の理想の実現を教育に求めた教育基本法を、体現した子どもの姿を鮮やかに示すものとなっています。教育基本法が求める憲法の理想を実現する人格は、憲法・教育基本法を学校教育に具体化した「学校づくり」によって、はぐくまれるのです。
 第2は、「子ども参加・父母共同の学校づくり」の中でこそ、父母の主権者意識がはぐくまれ、主権者としての行動が発揮されるということです。
 本集会でも、大阪の柏原市のとりくみが報告されるので詳しくはそこに譲りますが、ここでは、父母自身がPTAとして少人数学級実現にとりくみ、父母が教職員組合に協力を求め、教育長や市長との懇談も実現させるなど、目を見張るとりくみがすすめられています。これは、従来の教職員組合が父母に協力を求めるという形を質的にこえ、文字どおり、父母が主権者として行動する姿をあらわしています。これは、父母が憲法の大原則である国民主権を体現しているものであり、教育を国民的に前進させる教育基本法を体現しているものです。これは、憲法・教育基本法が間違いなく父母・国民の中に生きて働いていることを示すと同時に、こうしたとりくみが憲法・教育基本法の中身を豊かにしていることを示すものです。
 第3に、「子ども参加・父母共同の学校づくり」の中でこそ、教職員は教職員としての誇りと尊厳をとりもどし、教職の専門性を発揮することができるということです。
 時に「嵐のような」とも表現される文部科学省「教育改革」路線のもとで、教職員は、子どもに向き合う時間を奪われ、子どものことを同僚とともに語る時間を奪われ、さして必要でないと思われる書類の大量の作成などに時間を費やされるという、長時間・過密労働のもとにおかれています。また、校長をふくめた教職員集団を「内部」、父母・地域住民を「外部」と描き、本来お互いが共同の対象である父母、地域住民と教職員をはじめから対立図式にもちこみ、学校をいっそう父母・国民から閉ざすという本質を持つ文部科学省流の「開かれた学校」論とそれにもとづく、「学校評価」「教職員評価」のおしつけなどによって、教職員は父母の声を正面からうけとめることを困難にさせられ、時には、父母の声や行動に怯えという感情を抱かされる場合さえあります。このもとで、教職員は仕事に誇りを持つこと、生きがいややりがいを持つことから遠ざけられ、「できれば早く教員をやめたい」とまで思い込まされています。
 「子ども参加・父母共同の学校づくり」は、これを正面からうちやぶる道です。実際、そうした学校づくりにとりくんでいる教職員は、みんな生き生きしています。おそらく本日、明日と各分科会で報告されるレポーターのみなさんも、生き生きと学校と教育を語られるのではないかと、確信しています。それは、「子ども参加・父母共同の学校づくり」が本来の教育の営みであるという本質を持つからです。教育行政や管理職のほうばかりを向かされ、子どもや父母と向き合うことを困難にさせられている教職員にとって、学校づくりは、文字どおり、子どもと父母と正面から向き合い、討論、交流し、合意をつくることになります。それは、文部科学省や教育行政が対立図式にもちこもうとしている父母と教職員を結び合わせることになり、それは、専門性の発揮抜きにはできません。このことによって、自分がとりくんでいることが、子どもの成長に役立ち、父母の願いの実現に役立っているという実感をもつことができます。つまり、それは、教職員本来の職務をとりもどすことであり、それによって、教職員としての誇りと尊厳をとりもどすことができるのです。
 そして、これが「教育改革」諸攻撃をうちやぶるもっとも確かな力です。こうした学校づくりにとりくんでいる、ある教職員は、「親といっしょにやるのは、何よりも楽しいから」「親といっしょにやっていたら、こわいものは何にもなくなる」と胸を張って語っています。とりくんできている学校では、父母、教職員がこの方向でこそ学校教育の未来が切り開けるという確信を深めています。それは、父母、教職員の共同の力が実際に学校を動かし、教育を前進させているからです。その力の源に、憲法に定められた子どもの学習権、「子どもの権利条約が規定する意見表明権の保障があります。おりしも、今日11月20日は、1989年に国連総会で「子どもの権利条約」が採択された記念日でもあります。あらためてその意義を確かめ合いましょう。

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3.シンポジウムの討論、分科会での研究、討論をとおして、教育課程と学校づくりにかかわる諸課題を深め、問題の克服方向を共有するとともに、各学校でのとりくみに反映させよう
 
 シンポジウムでは、父母、教職員、研究者によって、「憲法・教育基本法にもとづき、教育課程づくりを軸とした学校を」をテーマに、いまの学校のおかれている現状を明らかにするとともに、そのもとで、子どもたちの成長・発達を保障する学校を父母、教職員共同の力でどうつくるのか、とりわけ、学校教育の中身としての教育課程づくりをどうすすめるのか、について、それぞれの実践をふまえた討論が展開されます。
 この討論をとおして、現状認識と課題を共有し、「子ども参加・父母共同の学校づくり」の意義とその重要性を確かめ合うとともに、とりわけ、現段階では必ずしもうまくいっているとはいえない教育課程づくりについて、実践を学び、今後のとりくみに生かしましょう。
 また、今回の集会は分散会とせず、それぞれテーマをもった分科会として設定しました。それは、この間の学校づくりのとりくみが前進してきていることの反映であり、さらにこれをすすめるためには、学校づくりの具体的課題をもった研究、討論、交流が展開される必要があるからです。
 同時に、実際に「子ども参加・父母共同の学校づくり」をすすめていくうえで、それぞれの学校がもっている課題はそれぞれ違い、とりくみをすすめようと思えばその課題に沿った研究と討論がどうしても必要であり、そのとりくみに資するため、分科会という方式をとりました。このことをふまえ、分科会では、それぞれのテーマにもとづくレポート報告を受け、大いに討論、交流し、各学校でのとりくみに積極的に反映していただきたいと思います。
 さらに、これらの交流、討論が積極的に展開されるために、また、各学校での学校づくりのとりくみを前進させることを願って、全教「学校づくり・教育課程検討委員会」は、この間9回にわたる検討会をもち、研究、討論を重ね、「教育課程づくりを軸とした学校づくりを―参加と共同による開かれた学校への道すじ」というパンフレットを作成しました。分科会討論の中でも積極的に活用していただきたいと思います。また、このパンフについての意見もぜひ、積極的に出してほしいと考えています。分科会での討論や、パンフレットに対して出されてきた意見をふまえ、あらためて討議資料を作成する予定です。

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4.課題を確認し、「学校づくり・教育課程づくり」のとりくみを前進、飛躍させよう

 これまで述べてきた前進面とともに、いくつかの課題がうかびあがってきています。
 その第1は、学校づくりのとりくみが、全体として、まだ点にとどまっており、これを点から面へと発展させる必要がある、ということです。
 第2は、学校づくりを、文字どおり、その学校の教育の中身をつくる教育課程づくりを正面にすえたとりくみに発展させる必要がある、ということです。
 第3は、それぞれの職種の専門性との関係で、どうとりくむのかという、教職の専門性の角度からこの問題を深める必要がある、ということです。
 重要なことは、これらの課題はとりくみの前進の中で浮かび上がってきている課題であり、この課題に正面からとりくむことによって、教育課程づくり、学校づくりのとりくみを前進させるにとどまらず、飛躍させることができるということです。そのために、いくつかの問題提起をおこないたいと思います。ぜひ、分科会討論をとおして、深めていただきたいと考えます。
 
(1) あらためて「一人からでもとりくむことができ、広げることができる」ことへの確信を広げること
 昨年度、学校づくり提案をおこなったときにも強調してきたことですが、学校づくりは、あらためて「一人からでもとりくむことができる」こと、そして必ず「広げることができる」ということへの確信を広げる必要があるということです。そのための3つのポイントを提起します。
1)あらためて、学級でのとりくみに光をあてること
 第1は、あらためて学級でのとりくみに光をあてることです。学級は、教育活動、教育実践がおこなわれている基礎単位であり、子どもにとっても一日の大半をすごす場所です。そこで子どもたちは、学習集団と同時に、生活集団を形成し、日々の学校生活をおこなっており、子どもの成長・発達のもっとも基礎的な集団といえます。そして学級は、父母と教職員にとっても、学校での子どもの様子や家での子どもの様子など、お互いに情報発信をおこない、情報を共有し、もっとも日常的に意見交換をおこないやすい場所でもあります。
 父母と教職員の間にくさびを打ち込もうとする攻撃があっても、学級での父母と教職員の関係を断ち切ることはできません。そして学級での父母との共同は、たとえ「一人から」であってもとりくめるものです。さらにそれは、広げていこうという意思がある限り、学級のみにとどまらず、学年へ、学校へと共同の輪を広げることは、各地での実践が物語っています。
 とりわけ、政府・文部科学省の教育課程上の諸政策である「選択教科の拡大」や「総合的な学習の時間」「習熟度別学習」「評価規準・基準」おしつけなどは、子どもたちがつくる学級集団を徹底的に縮小して、子どもを集団的な学びから遠ざけ、限りなく個別化していこうとするものであり、この面からも、学級集団は重要です。学級を基礎とした父母と教職員の共同は、「教育改革」路線をうちやぶる道でもあるのではないでしょうか。

2)それぞれの職務の専門性を生かしてとりくむこと
 担任をもたない教諭の場合、また、教諭ではない職種の場合も、その職務をとおした教職員の共同、父母との共同は可能です。
 担任を持たない教諭の場合でも、自分が担当する教科等の指導をとおして、子どもの実態が把握できるのですから、そうした実態を担任に知らせ、担任と力を合わせて父母と共同することができます。それが、学級から学年の共同に発展すれば、必ず学年集団としての対応が求められ、みんなで力を合わせることができます。
 教諭以外の職種の場合はどうでしょう。
 全教事務職員部の夏の学習交流集会では、子どもからアンケートをとり、その要望を聞きながら学校の施設・設備の改善をすすめ、どのように改善されたかも、子どもに返す実践が報告されています。同様の実践は、教研全国集会の分科会でも毎年のように、報告されてきています。これは子ども参加の重要な形態です。同時に、そうした施設・設備改善は、必ず教職員集団や父母に影響を与えるものであり、父母との共同に発展させることができるものです。
 養護教諭の場合は、保健室での子どもの様子をふまえ、担任教師や教師集団と連携した保健指導をとおして、父母と共同し、子どもの成長・発達を保障するとりくみが各地で展開されています。とりわけ、保健室登校の子どもたちの実態を把握することなどは、養護教諭でなければできないことです。子どもたちが、さまざまな育ちの困難さを抱えているからこそ、学級だけではつかめない子どもの実態や成長・発達の課題を把握し、問題提起することは教職員集団にとっても、父母にとっても重要です。
 栄養職員の場合は、子どもの食の問題を中心に、子どもを語り、その成長・発達を食教育をとおして父母とともにとりくむことが可能です。
 また、学校図書館職員が、図書館での指導をとおして、子どもの実態をつかみ、子どもの声をきいて、それを教諭や司書教諭と協力して読書指導に反映させること、など、あらためて、その職務の専門性を明らかにしつつ、その角度からの「子ども参加・父母共同の学校づくり」のとりくみの積極的探求が必要なのではないでしょうか。

3)教育活動における教職員の共同の展開
 「一人からでも」はじめ、これを「広げる」ポイントは、これらのとりくみを教職員集団として結び合わせることです。「学校づくり5つの提案」で教職員の仲間づくりを提案していますが、教職員の仲間づくりは、心がけの問題ではありません。また、単なる仲良し集団をつくることでもありません。教職員の仲間づくりは、その職務をとおした共同です。それは、何も難しいことではなく、それぞれが把握している子どもの実態を語ることが出発点です。とりわけ、子どもの「人格の完成」をめざす日本の学校においては、子どもの実態を多面的に把握し、さまざまな側面からの指導が求められるのですから、教職の集団化は必然的に求められるものです。そして、それは、教職員が力をあわせることを困難にしようとする「教職員評価」押しつけなどの攻撃を打ち破ることにもなるのです。

(2) 父母といっしょにやってこそ教職員としてのやりがいや働きがいがとりもどせることへの確信の共有
 この間の文部科学省の教育政策は、教職員の職務の中心を崩そうとするものであり、これが教職員から働きがいや仕事のやりがいを奪っている元凶です。
 教職員の職務権限は、子どもの学習権を中核とし、その子どもの学習権を第一義的に保障する権利としての父母の教育権負託によって成り立っています。したがって、教職員の職務権限、教職の専門性発揮は父母の教育権発揮によっていっそう確かなものとなるのです。言い換えれば、父母とともに学校づくりにとりくむことによって、教職員は働きがいや、やりがいをとりもどし、専門性を発揮して教育活動を前進させることができるのであり、これによって、教職員は元気になることができるのです。父母が学校に対して発言し、行動することは、実は教職員をはげまし、元気にさせることなのです。このことを父母、教職員お互いが共有することが重要です。

(3) 教育課程づくりという角度から教育活動に光をあてること
 以上述べてきたこれらのとりくみは、子どもの成長・発達を保障する学校教育の中身をつくるとりくみであり、各学校が、それぞれの子どもの実態や地域の実態、父母の要望に即した教育課程と教育活動をつくるとりくみです。「教育課程づくり」というと、何か大変大がかりなことをやらなければならない、と思いがちになりますが、それは、自分たちの足元が出発点です。そしてそれらのとりくみは、実はすでに各学校にさまざまな形で存在しているに違いありません。教職員がとりくんでいる毎日毎日の教育活動の中に、きっと宝があります。あらためて、教育課程づくりから光を当ててみることによって、その値打ちを自分たちで確かめることができるのではないでしょうか。そのことによって、教育課程づくりがもっと意識化され、教育課程づくりを軸とした学校づくりはもっと前進します。各分科会での討論をこの角度からすすめることをお願いするものです。

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おわりに
 「子ども参加・父母共同の学校づくり」をさらに前進させるうえでのいくつかの問題提起をおこないました。シンポジウム、分科会の討論をとおして、ぜひ、深めていただきたいと考えます。本日、そして明日と、こうして父母、教職員が共同で子どもを語り、教育と学校づくりを語り合うことそのものが教育基本法の生きて働く姿です。教育基本法は単なる法律として存在するのではなく、日々の教育の営みの中にあり、生きて働いています。言い換えれば、日常の教育活動に教育基本法から光をあてることによって、その教育活動のもつ値打ちを見つけ出すことができるのです。
 そのためにも、教育基本法を変えてはならないという気持ちを一つにむすびあわせ、これを守り生かすとりくみに全力をあげようではありませんか。このことを最後に申し上げ、基調報告とします。


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